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京極夏彦■巷説百物語 帷子辻 [書]

京極夏彦■巷説百物語 帷子辻
●2021.11.26

中々進まない“巷説百物語”シリーズのまとめですが、全部は無理そうなので抜粋しています。
今日はこの『巷説百物語』の表装の裏にある“九相詩絵巻”に関連する話です。

京極夏彦■巷説百物語 帷子辻●角川書店.jpg


まず九相詩絵巻ってなんやねん?って思いますよね。
Wiki→ 九相図(くそうず、九想図)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である。 名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。九相図の場面は作品ごとに異なり、九相観を説いている経典でも一定ではない。

京極夏彦■巷説百物語 表装裏●角川書店.jpg


この表装の裏の絵巻は個人蔵の物と記載されていました。内容は物語でわかりやすく説明もあります。
写真はわざとはっきりわからないように廊下で太陽光で透けさせて撮影しました。この図を養老孟司さんが紹介していたそうで、それを紹介していた
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/deki/dekixx/acontentX28.htm

●帷子辻(かたびらがつじ)
京洛の西に帷子辻と呼ばれる辻がある。
東に太秦、北は広沢、北東は愛宕常盤、西に嵯峨化野。
真実か虚構かはわからないが、その昔、嵯峨帝のお妃橘の嘉智子・檀林皇后がお隠れになる前に、死して後我が亡骸は、弔いもせず埋めもせず、辻にうち捨て野に晒せと言い遺された。その意志は唯一つ、無常の二文字を体現せしめるためなりということ。
万物は縷縷変化して止まることなく、人生も人体もただ虚しきもの、永遠なるものなど何もなしと、世に知らしめるためであった――というのである。
生ある時の皇后は類なき麗人で、恋に惑いて仏心を忘れたる愚か者も世の無常を感得し成仏の方便となるであろうとの信心深きお心の現れと伝えられている。その腐る様、朽ちて行く様、消ゆる様、禽獣に喰わるる様は、色に惑い香に迷うた輩どもを多く導き救った。
そのご尊骸を捨てたるが帷子辻だというのである。
ただ、ご尊骸が朽ちたるその後も―――。
如何なることか、この帷子辻に折節に女の死骸が忽然と現れ、犬鳥に食まれるさまが見える事があったという。
辻が無常を覚えたか。無常が辻に衍った(はびこった)か。

嵐山の端、訪れる者すらいない破れ御堂の板の間の上に、白帷子に行者包みの御行の又市と、剃髪し、墨染めの法衣を纏ってはいるが、凡そ真っ当な僧侶ではない、鬼でも飲み込んだような不敵な面構えの無動寺の玉泉坊という小悪党が一巻の絵巻物を覗き込んでいた。
有り難い絵やがな――玉泉坊は言った
「これは靄船の野郎に頼まれて、さる有名な門跡に頭下げて、大枚叩いて借りてきたもんやさかいな、汚さんといてくれまへんか」
又市は顔を顰めた。絵巻には女が描かれている。しかしその女が生きているのは最初の一図だけである。
俗に九相詩絵巻、小野小町壮衰絵巻などと呼ばれるものである。
要するに死後の人体が土灰に帰す迄の九つの相を描いた絵巻物なのである。
これが有難ぇのかいと又市は問うた。
玉泉坊は「こりゃ世の無常を説いておるのんや」
情け知らずのほうやない、常ならむの方だと。
「世の中てぇのは移り変わるモンやっちゅうことを表す絵ェだ。こないな飾り立てた綺麗なおなごも、死ねば腐る。膨れて、蛆が湧いて、犬に喰われて骨になる訳や。時が経てば美も醜に転ずる。美醜は同じモノなんや。変わらんと美しいモノなんぞない、色は移ろうものやから、そないな果敢なげなものに心を囚われるんは愚かや、とそういう絵やな」
「この手の絵はな、九相図いうてな、九相詩いう古い漢詩があるんやが、それを絵にしたもんなんや。・・・・紅粉の翠黛(すいたい)ただ白波を綵る(いろどる)のみ、男女の淫楽互いに臭骸を抱くっちゅうやつやな。ええか人は死ねば九つの相を示す。その最初の絵は生前の相や」
次にその横の、筵に寝かされ、白帷子を掛けられた女の図を示した
「これが死んですぐやな。新死の相や。まあ死んでる訳やから顔色は悪いわ。病で死んだもんなら生前から衰えるやろうしな。――これやと寝てるのと変わらんやろ」
「――恩愛の昔の朋は留まりて尚あり、飛揚の夕魂(せきこん)、去って何処にかゆく、という訳や。生前の面影があるよって、こりゃ中々見切れぬわい、そうやろ」
未練や執着やと入道は言った。更にその横の絵を示した。
腫れあがり、皮膚も毒色(ぶすいろ)に変色している。顔相も様変わりしており六腑爛壊して棺槨(かんかく)に余ると、まあこうなる訳やな」「好いて焦がれて慕った相手でも、こうなったら終いやろ」と玉泉坊。次の相は肌の色は益々黒くなり、皮のあちこちが破れ始めている。眼球も流れ出している。見苦しい事この上ない。
「骨砕け筋壊れて北郡に在り、色相変異して思量し難し。腐皮悉く解く青黛の貌、膿血忽ち流る爛壊の腸—――っちゅう訳や。人は高潔なもんかもしれへんけど人の躰ゆうのは不浄なもんやさかいな、この相に至ってもその不浄が顔をだしよる。続いてこれが肪乱の相や—――」
「白蠕身中に多く蠢蠢たり、青蠅(しょうじょう)は肉(ししむら)の上に幾許か営営たり―――もう汚らわしいだけのものやな。風が臭気を二里三里も運びよる。不浄そのものといった体や。しかしな、こりゃ人にとっては穢らわしいだけのものやがな、禽獣にとっては格好の餌やで―――」
玉泉坊は隠れていた絵をさらした。
狗などの獣や鳥、鷹などが骸に群がり、腐乱した屍体を貪り喰っている図である。
「噉食(たんしょく)の相いいますねん。飢犬吠嘷(きけんべいこう)貪烏群衆すということですわ。餌やな。人の尊厳もかけらもありまへんわ。でもな、犬をあさまし思うたらあきまへんな。これが犬にとっては当然のことですねん。・・・」
更に絵巻を捲った。
「ほれ、これは青瘀(せいお)の相やな。絵巻によってはこれが先に来ることもおますが、この絵巻はこの順や。見てみ。もう顔は髑髏や。肉ももう殆どないわな。残った皮も空しいもんやで。この後はもう、骨しかあらへん―――」
入道は巻物を最後まであける。
「これは骨散の相や。しゃりこうべやで。皮張っててこそ男女の差はあるがな、こうなってしもうては男も女も況してや別嬪も醜女もおもへんわ。で最後は古墳の相や。骨も散ってしもうてもう塵芥やで。五蘊は元より皆空しかるべし、何によって平生この身を愛すや。・・・」

●生前の相
●新死の相
●肪脹の相
●血塗の相
●肪乱の相
●噉食(たんしょく)の相
●青瘀(せいお)の相
●骨散の相
●古墳の相
玉泉坊による関西弁での九相図の説明です。関西弁に関してはネイティブ大阪人の私に喋らせるともっとクセのある物言いになりそうですけど。

玉泉坊は又市が何か様子が変だと感じ、引っ掛かりがる様なら聞かせろと。
又市は何年も前に会った女の話をした。
江戸で会った婆ァの話だった。
色狂いで男なしでは一夜もいられない女。老いさらばえても斑に白粉塗りたくって、皹割れた唇に紅を引いて、夜な夜な男の袖を引いていた。夢を見ていた。てめえは若くて綺麗だという夢を。又市は現実を見せた。そして、女は首縊って死んだ。それが肪脹の相のように浮腫んで、涎垂らして。又市は
「無理に揺さぶって、水かけて頬叩いて、目ェ醒まさせたっていいこたねぇ。この世はみんな嘘っぱちだ。その嘘を真実と思い込むからどこかで壊れるのよ。かといって、目ェ醒まして本物の真実見ちまえば、辛くって生きちゃ行けねぇ。人は弱いぜ。だからよ嘘を嘘と承知で生きる、それしか道はねえんだよ。・・・・」
そこでこざっぱりした身なりの靄船の林蔵と花の載った箕を頭に載せた女が立っていた。

靄船の林蔵は表向きは帳屋を生業とする小悪党である。
河内木綿を烏袖に折り、黒の掛け襟、三巾の前掛けに御所染めの細帯—――。都の花売り—――白川女の装束の横川のお竜を二年程前くらいから組んでいる身内と紹介した。

儲け話ではないが、礼金は出る仕事の話をした。本来なら林蔵の仕事だが、手に余る上、林蔵は明日から他の仕事で長崎に行くので、代わりだった。戻ってからでは遅いらしい。
去年の夏、太秦の先の帷子辻に女の腐乱死体が突如出現した。死後十日や二十日ではなく、目玉は抜け腸は溶け、髪の毛ばかりが雀の巣みたいに、まるで血塗の相のように。往来に腐る迄放置されたのではなく、死骸は腐った状態で捨てられていた。林蔵は語った。
一年前の夏—――。
帷子辻に腐乱した女性の屍体が投棄された。
屍体の状態は著しく悪く、顔相も体格も判ったものではなかったが、衣服などから判断するに低い身分の女でないことは慥かだったそうである。貧しい身なりの遺体だと不審な点があろうと行き倒れで済まされるが、武家の妻女の出で立ちであったため京都所司代、奉行所も放っておく訳には行かなかったそうである。
身元は程なく、京都町奉行所与力、笹山玄蕃の妻女さと、が骸の姓名だった。
さとは事件の二月程前に行方がわからなくなり探索が続けられていた。
事情があった。
さとは拐された訳ではない。殺害された訳でもない。
さとは二月程前に流行病で他界していた。拐されたのは生きたさとではなく、さとの屍体だった。
荼毘に付される前に煙の様に掻き消えてしまった。そんな折の出来事だった。
与力笹山玄蕃は変わり果てた骸に縋って只管に泣いたという。
その年の暮れ、再び帷子辻に女の骸が捨てられたのである。
矢張り死後二月以上経っていようという腐乱死体であった。
やがて――櫛や根付などの持ち物から、祇園の杵の字家の志づのなる芸妓のなれの果てであった。
志づのは二月半前から生きたまま行方がわからなくなっていた。が周囲は、身請けされて何処か余所に行ったもの――と誰もが思っていた。失踪の直前に置き屋の方に志づの名義でまとまった金子が届いていた。しかし志づのの遺体は姿を消した日そのままの格好だったらしい。死因は扼殺と思われた。志づのの場合はすぐに殺害され一定期間隠され腐敗を待って捨てられた。
そして春。三度帷子辻にかた骸が横たわった。
三つ目の骸は一層損傷が激しく、顔面などは半ば白骨化していた。身許は守り袋から、東山の料理渡世由岐屋下女、とくであった。死因は矢張り扼殺のようであった。
そして―――
「一昨日、また―――ですねん」
又市は絵巻を示した。
「最初の奥方が血塗、次の芸妓が肪乱、それで下女が青瘀の相だったんだろ。段々酷くなる。ここまできちゃァ後は犬に喰われるか骨になるだけじゃねぇか。その辻に—――骨でも散らばっていやがったか」
林蔵は
「そうやない。今回はな、まだマシやな。見つかったのは白川女――花売りやな。花売りのお絹というてな、ええ娘やった。真面目でな、世話好きで。なあ――お竜」
「・・・お絹は確かに死後数日どこかに隠され、いきなり帷子辻に捨てられた。捨てられはしたがな、お絹は殺された訳やないのんや」
お絹は自害や。—――林蔵は言った。
「—――首ィ吊ったんは間違いない。梅の木ィにぶる下がってんのを何人も見ておるんやから。慌てて降ろそとしてな、巧く行かへんさかい応援呼びに行って、その隙に消えたんや。辻に置き去りにされた時もな、縄がそのままついておったよって」
又市は
「・・・・いったい何を助けりゃいいんだ。真逆下手人捜せというんじゃねぇだろうな」
「そうやない。下手人は大方見当ついてんねん」

帷子辻の怪異は連日続いた。
夕刻・・・・それは忽然と現れた。
筵の上に横たわった女の死骸である。
死骸であることは一目でわかった。青黒く浮腫み、蠅が群がり蛆が生き、時には臓腑を犬が啖っていたからである。
しかし通報を受けた役人が駆けつけると既に骸は消えている。多くの物が見ている。調べてみても痕跡もない。
翌日も同じようなことが起きた。
矢張り同様な刻限、同様の目撃者が出て、役人が駆けつけると消えていた。
一計を案じ五日目には奉行所の同心数名が張り込むことになった。
しかし―――
慥かに死体は現れたのだ。ほんの一瞬、張っていた全員が目を逸らした隙に―――それは現れた。
聞いた通り蠅が集蝟って(たかって)いる。臭気も物凄い。
その付近にはただ門付けの托鉢僧が居るばかりであり、その僧は骸が現れる前からそこにいたのだった。念のため問い質したが埒もなかった。

「その坊主が儂や」玉泉坊はそう言った。
考え物の百介が帷子辻までの道すがら玉泉坊より鞍馬や叡山、蓮台野、化野、それぞれの様子や供養の事を聞いていた。
「つまり――無常の地である小倉山方面への入口でもある帷子辻なら、そうした幻覚が湧き出るのは寧ろ当然だと――そう仰りたいのですね」
百介は幽霊話だと思い大阪からやってきていたが、又市たちの仕掛けだった。
玉泉坊は小悪党の顔に戻って言う。
「ひゅうどろなんて芝居だけのもんやで。あんさんかて国中歩いて本物に遭うたことないんでっしゃろ?そんなもんあらへん。でもな、あってもええ。あって欲しいというのが人情でっしゃろが。こないな古い町に住んでおりますとな—――そういう気ィになって来る。特に帷子辻辺りは余計そうや。せやから又さんの仕掛けも不自然にならんかったんやないかと、儂なんかはこう思いますわ。もしや本物やないかと思うこともある」
「本物の――幽霊ですか」
お竜が化けておるだけやけどな―――と、入道は言った。
「あれはな、儂かて驚くわ。あれ、わざと腐汁を顔に塗って蠅を呼び蛆を這わせ、獣の腐肉を肚に仕込んで犬に喰わせてな。徹底してますやろ。大体出るのは逢魔刻やし、傍に寄ればまあ危ないとこですけどな、気持ち悪うて誰も近づきはせんのや」
今では、暮六つ過ぎれば犬の仔一匹いない。
「人が誰も来なくなっても—――続けているのですか」
「ただこの下手人は一筋縄で行く相手とちゃうような気もしますのや」
百介は遺族に対する嫌がらせと感じた。遺族を苦しめる以外の意味はないように。
玉泉坊によると奥方の死骸盗まれた笹山という与力は、人格高潔にして清廉潔白、情に篤く不正を憎むちゅう、今の世の中然然いない役人だそうだ。なので―――嫉妬、追い落としの線か?
その与力、今では愛しい愛しい奥方に先立たれ、参っていた。焼くのも埋めるのも我慢が出来ない程に。ようやく葬る決心した矢先、盗まれ、野晒しにされた。もう廃人同様だそうだ。ほとぼりが冷めた頃に思い出すような事件が起きる。もし嫌がらせとしたら大成功だ。
しかし亡くなった奥方が所司代のお偉いさんの娘だった。舅が――最愛の伴侶の亡骸を辱められた苦悩、余人には計り知れず、その心中を慮るに憐憫の情抑え難し—――休職扱いとなっている。
そんな甘い処遇でも他の者も文句が出ないのは人徳のようで、寧ろ周囲から同情を買っている。それに二人目以降は何の関係もない女だ。
「本当に関係ないのですか」と百介
志づのという芸妓は地味な女であったらしく、地道に稼ぐ質で杵の字家でも浮いた存在で、身請けの話は誰も信じなかった程で青天の霹靂だった。相当の金子は届いたようだが、相手は不明だった。
次に殺された下女は由岐屋という料理屋で侍もよく行く店で、与力同心も行っていたが、下女までは・・。
最後の白川女に到っては首吊っている。花売り仲間の話では死ぬような理由はなかった。いずれにしても堅物の与力とは結び付かない。

辻は―――淡昏かった。
そこ既に、生者の住まう場所ではなかった。
むうと気が凝った。
そして――そこに。
骸が現れた。
それはどう見ても遺体としか見えなかった。勿論、ぴくりとも動かなかった。臭気も酷かった。誰もが目を覆い、鼻口を抑えて立ち去るであろう。酷い有様である。
四半刻、そのまま転がっていた。そして、人とあやかしの区別もつかぬ、逢魔刻が訪れる。
人影が注した。
酔漢の如く、左に揺れ、右に傾き乍ら骸に近寄っていき、骸のの傍らに到って止まった。侍は詫びているのか、腰が抜けたのかのように土下座でもするように顔を下げた。
侍は息を吸っていた。胸一杯に。
侍は嗚咽を漏らし始めた。しかしそれは悲しみの声ではない。悦んでいる。
—――お絹、どんなに崩れようと、腐ろうと、拙者は—――。
りん。鈴が鳴った。
又市は言った
「今宵はお絹が迷うて出ました。旦那様も――罪なお方じゃ」
侍は顔を骸の帷子に擦り付ける。
そして、お絹は身分が違う、情けを受けるは有り難いが、玩ばれるのは真っ平御免と申したと。
又市は
「絹は上古(いにしえ)の檀林皇后宛らに――身を以て知らしめたのでござりまするな」
侍は腐汁を啜り
「――拙者の気持ちは真実じゃ。仮令どんな姿になろうとも、変わるものではないのだ。・・・・」
「・・・諸相は無常というも理。色即是空と誦える(となえる)もまた理。凡て空なりというたところで、凡ては空という理自体は不変のものだ。ならば、ならば同じく、情愛思慕の念もまた――不変のものではあるまいか—――」
侍も最初は疑った。妻への思いを疑い、試したのだった。
「試した。自分が惚れておるのは何なのか。好いているのはどこなのか。拙者は確かめたかったのだ。立ち居振る舞いに惚れておるのなら、命消えたところで断ち消えよう。上辺外見に惚れておったなら――朽ちれば立ち切れよう。魂に囚われておるのなら、中庸を過ぎれば気も収まろう。だが――」
「いつまで待ってもまるで衰えなんだ。拙者は—拙者の気持ちは本物なのだ。拙者は真実妻を愛しく想うておったのじゃ」
御行はすうと鈴を翳した。
「仮令醜く腐り果てても、仮令骨となり散らばろうとも、変わらぬ想いこそ本物だ。生者も死者も関係ない。拙者の想いは本物なのだ。純粋なる、真実の気持ちなのだ。それが証拠に、拙者は三度繰り返し、四度目もまた—――」
又市は
「勝手でござります」
「絆なんてモノは生者の中にだけあるもの。死者にゃそんなモノ御座居ません」
「死人はモノでやす。だから腐る。骸は塵芥や糞と変わりのねぇ、不浄なモノに過ぎねぇんせ御座居ますよ。美醜の違いも男女の違いも、些細なことで御座りましょう。しかし」
「黄泉津比良坂の話では、伊邪那岐神は黄泉津醜女、黄泉軍、八柱の雷神を躱しなって逃げ帰られ、冥界への道――黄泉津比良坂を千引の石を以て引き塞えたという、神世のお話に御座ります。・・・」
又市は侍に何故伊邪那岐神は逃げ帰ったのか聞いた。侍は真実の想いがなかったと言い、拙者は違うと。しかし御行は
「浅はかなり」愚かなり、愚かなりと。屍体はモノだ。人に魂はないと嗤った。
「況してや冥界などというものはない」
一方的な妄執は女達も堪らないと。が、厭う必要もない。と。伊邪那岐神は醜い妻が嫌で逃げ帰ったのではない。追われて逃げたと。醜い姿を見られた伊邪那美神が怒ったからだと。
「見るなと言うたのに、見たからで御座います」
「…死して後、きちんと送り届けなければ礼儀知らず。死者にも尊厳がございます。旦那様、見られたくない姿を見られて悦ぶ者はおりませぬぞ。己が醜く腐って行くことが、一番嫌な死者自身。その恥ずかしき己の様を一番見られたくない相手こそ、心底好いた—――お前様であった筈」
嘘と思うなら尋けと。
腐った女は白目を剥いて、爛れた唇を悸かせた(わななかせた)。
「吾に辱見せつ」
侍は骸の傍らで腹を切って果てた。


ここから先は種明かしなので、本を買って読んでください。
まぁ、amazonも楽天も中々リンクが貼れないように、持っている方が手放さないようで、手には入りにくいようですが、探すのも楽しみの一つですね。
私は備忘録でこれを書いているので、続きはしっかり読みました。
京極堂シリーズと同じで、不思議な事はないという一貫した姿勢です。
不思議な話は読むのが好きですが、ついつい原因を考えてしまいますね。何か物音がしたら、怖いくせに原因を確かめずにはいられない性分なので。(おかげで就寝時は音楽をかけて寝る)
そうそう先日面白い物をみつけました。「怪と幽」の裏表紙に荒俣宏さんの自伝の広告があり、購入しました。どういう風に育ったのか興味津々です。今中学時代迄読んでいますが、脱線しまくりで、超~面白いです。荒俣さんも“不思議はない”人ですので、安心して読んでいます。


amazonや楽天のリンクは貼り付けようとしても在庫がないようなので、ジュンク堂のリンク貼り付けますね。

■巷説百物語(角川文庫)→https://honto.jp/netstore/pd-book_02336178.html




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