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横溝正史■病院坂の首縊りの家-3 [書]

横溝正史■病院坂の首縊りの家-3
巣籠日記 2■4●2021.04.28

今日も続きになります。下巻は手の抜けない内容が盛り沢山なので今日で書き切れるかどうかは不明です。

下巻では本條写真館改め本條会館株式会社が重要な要素となります。
で、本條家は単純ですが、家系図

2021.04.28■横溝正史■病院坂の首縊りの家 本條家●1.jpg


本條家は明治25年権之助が設立。本條家は単純ですが、ここには載っていないが、本條写真館当時、徳兵衛が戦災孤児の兵頭房太郎を育て、そのまま働いていた。房太郎はこの下巻の話の10年程前に退職し写真家に転身していた。
耕助が本條家と法眼家が長の付き合いと感じた写真、明治42年の法眼病院竣成記念の撮影は権之助、大正10年の改築時の写真は紋十郎、そして昭和の戦後の被災時の廃墟の写真は徳兵衛が撮影していた。

昭和48年4月8日、本條徳兵衛の告別式があった。
耕助はその日渋谷にある等々力元警部が定年退職後設立した「等々力秘密探偵事務所」を訪問した。そして旧交を温めた後、二人が不本意な結末で終わった昭和28年の「生首風鈴事件」の事を話した。当時現職の警察官だった等々力が話せなかった事も含め話した。
町の一写真館が地下2階地上9階の本條会館に急成長したのは、五十嵐産業より厖大な資本が入っている。28年の事件当時、徳兵衛は何かを知っている様子だったが、事件は時効が成立している。徳兵衛は弥生を恐喝しているのではないかと疑っているが、恐喝される側の弥生も一筋縄でいかない豪傑、お互いの利害になるように協力し合っているのではないか?
徳兵衛は几帳面な性格で全ての乾板・フィルム・写真を本條会館と廊下で繋がっている「温故知新館」に保存している。耕助はその保存された写真の中に弥生の世に出したくない写真があるのではないかと疑っている。徳兵衛は実直な性格だったが、戦後の何もかもなくしてしまった時代、背に腹は代えられないと思ったのではないか。

本條徳兵衛の告別式の少し前、耕助の住まいである緑が丘荘で満身創痍の直吉の訪問を受けていた。
徳兵衛は自分の寿命が尽きている事をわかった上で直吉に告白と遺言をした。
弥生を恐喝していた事、そして自分の死後〝鉄の函”(鍵の1つは弥生、もう1つの鍵は昔徳兵衛が捨てている)を由香利立会いの下渡す事。渡すと無償で弥生名義の本條会館の株の半分を受け取るという事。そして、直吉はなぜか自分の命が狙われている事を耕助に話した。しかし、襲撃者は法眼家ではないと思っている。法眼家にとってもうすぐ手に入る〝鉄の函”の代償が犯罪に及ぶものでないとわかっている。狙いの不明な襲撃が怖く、徳兵衛に相談した所、耕助が何もかも知っていて黙っている。信用できるので相談に行け。と言われ、訪問し、相談した。そしてもし犯人がわからずに直吉が殺害された場合、鉄の函をこじ開けてでも調査して欲しいと、〝鉄の函”と百万円を置いていった。

昭和48年の法眼家は、82、3になるであろう弥生と弥生の薫陶を受けた由香利、夫の滋、二人の息子鉄也、滋の母光枝、数人のお手伝い、そして、看護師の遠藤多津子。弥生はこの頃由香利と多津子以外とは会っていない。

その頃鉄也はある手紙を受けていた。封書の中には昭和28年の病院坂の首縊りの家で起きた生首風鈴事件の写真と、手紙だった。手紙の内容は、
「お前は法眼滋の子供ではない。由香利が自由奔放だった独身時代関係の持った写真の生首の男だ。お前が髭を伸ばすと相似が明らかになる。生首の主が知りたければ昭和28年の生首風鈴事件を調べろ。」

4月11日、直吉の警護をしているのは、耕助、等々力、多門修である。等々力は会館である黒板を見つけた
“「怒れる海賊たち」同窓会様”
昭和28年の事件時、佐川哲也のアリバイ証明をした多門修はその後佐川哲也と付き合いがある。多門修からきいた所、哲也の元に2週間前招待状が届いた。その招待状の差出人の名前が佐川哲也本人と、現在作曲家になっている秋山浩二。身に覚えがないので、秋山浩二に連絡を取ると、秋山も知らない。会館に問い合わせると電話で申し込みがあり、その後過分の現金書留も届いている。哲也が多門修に相談をした時には時間的に手遅れだったので、会はそのまま催すことになった。

同じ日、鉄也が自分の友人である本條徳彦の父親に聞きたいことがあり、本條会館を訪れていた。そして、由香利・滋夫妻も媒酌人を務める結婚式がある為、会館に来ていた。
兵頭房太郎も香港で徳兵衛の訃報を新聞で読み、帰国し、会館に来ていた。
等々力が9階のスイートルーム付近を巡回している時、4階の同窓会にいるはずの吉沢平吉をみかけた。等々力はスイートルームを確認した時、直吉は恐怖を紛らわす為泥酔していた。そして直吉を息子の徳彦にまかせ、先程吉沢平吉が向かった屋上の巡回に出た。屋上では何も変わりはなかったが、庇の裏からぶら下がったロープを見つけただけだった。そして4階に降りた。しかし4階に居た耕助に持ち場を離れたことを咎められ、4階は多門修にまかせ二人で再び9階のスイートルームに戻った。

4階の同窓会会場には多門修が偶然を装い、会に参加していた。そして、席の空いている吉沢平吉がもうフロントには到着している事を伝え、原田雅美、加藤謙三に謎の招待状の件を話していた。その直後吉沢平吉が会場に入ってきた。旧交を温めた後、平吉に招待状の件を問い詰めている時、同窓会の催されている弥生の間だけが、停電になった。そしてマントルピースの上に置かれていた時計の文字盤が外れ、光線がスクリーンに何かを映した。そこに映し出されたものは、昭和28年の事件の山内敏男の生首写真だった。そして「おまえたちは呪われている」とい呪詛の言葉を吐き、時計は爆発した。
そしてその直後建物の外で鋭い悲鳴のような声が聞こえたかと思うと次の瞬間何か大きなものが窓の外に落下し、グシャと物の砕ける音がし、隣のビルの屋根の上で動かなくなった。
そこに倒れ死んでいるのは、本條直吉だった。

4月13日、耕助は弥生に招かれ法眼家を訪ねた。迎え入れてくれた由香利によると、こちらから招いたのに申し訳ないが、弥生は現在も頭ははっきりしているが、寄せる年波には勝てず、肉体的に問題があり老醜の姿を人には見せたくないので、カーテン越しの面会となるとの事。面会の内容は、直吉より手紙を受け取った。〝鉄の函”を金田一耕助に預けた事の報告の手紙だった。しかし、耕助は〝鉄の函”を持参していなかった。直吉の事件が解決していなかったからだ。そして、〝鉄の函”を渡すもう一つ条件の由香利立会いが必要である事を伝えた。弥生は由香利ならここに居ると主張したが、耕助は爆弾を投下した。
この人は法眼由香利ではない、山内小雪であると。
そして耕助は以前成城の先生が見つけた短冊のメモに由香利の指紋がついていた事。そして、ロスアンゼルスの知人に送ってもらった、由香利を名乗る女性の指紋の付いたシャンパングラスを持っている事を。事件の真相を話そうとしたとき、電話のベルが鳴った。

また殺人事件が起こった。今度は吉沢平吉が勤め先である日曜大工センターで殺害され、容疑者として平吉の遺体の側に立っていた法眼鉄也が警察に連行されている事を弥生と小雪に報告し、もうしばらく、由香利としてふるまう必要があると伝えた。鉄也は完全黙秘をしていたが、佐川哲也により身元が判明した。遺体の死亡時刻がだいたいわかると、鉄也のアリバイは証明された。

耕助は小雪より鉄也に届いていた封書を預かっていた。そして、同封されていた写真が、件の同窓会で映し出された山内敏男の生首写真と同じで、本條写真館の別館「温故知新館」より持ち出されたのではないかと確信していた。そしてその写真を持ち出せる人物が限られている事も。
持ち出せる人物の一人直吉は、もし実際写真を使って恐喝をしていれば、自分を狙っている相手がわかっていたはずだった。しかしわからなかったことにより、直吉が恐喝者でないことの証明となっていた。
もう一人の本條写真館に出入り自由の人物が写真を持ち出し、恐喝を行っていたことになる。しかし、被恐喝者は狙う相手を間違った。間違って直吉を殺してしまった。そしてその殺人をも恐喝のネタにされてしまった。
耕助は多もう一人の「温故知新館」に出入り自由の兵頭房太郎の経営状況を多門修に調査させていた。かなり酷い状況だった。そして確信を持ったが、警察の組織的動きを待っていられない状況と判断し、耕助、等々力、多門修で非合法な手段を取ることにした。房太郎の写真スタジオ兼住居に忍び込み、現在作成している法眼滋への恐喝文書と写真の所在を作成途中に押さえた。
そして房太郎を囮にし、直吉殺害犯である法眼滋を呼び出した。そして滋の愚行を止めようとした由香利が滋の所持していたピストルの弾を受け落命。

滋には同情すべき点もあった。滋は由香利を本当に愛していたし、鉄也は自慢の息子だった。由香利に自分の子供を産ませることができなかったことがくやしく、逆恨みの様に、息子鉄也に侮辱の手紙を送っていた。

4月30日、耕助は再び弥生と対峙した。由香利が亡くなる直前耕助にテープを送っていた。そのテープを持参し、弥生に聞かせる為に。テープには昭和28年の事件の詳細、そして鉄也の事、滋に対しての愛情の事等が入っていた。弥生に聞かせ、そして〝鉄の函”を手渡した。



下巻はこんな所でしょうか。正直いい所は結構端折っています。私の拙い文章でまとめるには、もったいないからです。この作品、書かれた時代が結構前なので、今からでは発表できないような表現が多々あります。再発行された本は読んでいないので、そのまま掲載されたかどうかはわかりませんが、表現を変えても揺るぎない内容の話だと思います。1979年に映画化もされているようですが、できれば、原作を読み、横溝正史の世界を感じて欲しいです。

2021.04.26■横溝正史■病院坂の首縊りの家.jpg


正直これだけ書いたら、目が疲れました。最近2回読んだとはいえ、曖昧な記憶で書きたくなかったので、原作の小さい字を見ながら書きました。
明日も大阪は雨の様ですが、明日はもう少し軽い日記にすると思います。









病院坂の首縊りの家―金田一耕助最後の事件 (1978年) (角川文庫)

病院坂の首縊りの家―金田一耕助最後の事件 (1978年) (角川文庫)

  • 作者: 横溝 正史
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2021/04/28
  • メディア: 文庫











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